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適切な表現かどうかは分かりませんが、車のディーラーからスーパーマーケットの担当者まで、様々な“営業主体”が『顧客の意識は低い』と指摘します。売り物の価値も分からないくせに、(自分の思い込みの中で客は)偉そうにしている…、ということでしょう。
しかし、それが実は、“売り手の責任”だとしたら、どうでしょうか…。 |
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【01】 偉そうにしているのは“幼い”から? |
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偉そうにする人には共通する性質があります。それは“無知”です。つまり、知らない人ほど“偉そう”なのです。何も知らない子供は、大人に対して偉そうです。逆に、甘いも酸いもかみ分けた真の大人は、驚くほど謙虚でしょう。まさに“実るほど頭を垂れる稲穂かな”という言葉通りなのかも知れません。
そうだとしたら、保険の顧客が偉そうなのは、保険の働きや提案者の実力を知らないからでしょう。“商売”に対して、まだ子供なのです。
先日、ある運送会社のドライバーが(今や筆者の友人なのですが)、『時々メール便1通で集荷に呼びつけられる。そんな時、怒りで顧客の顔も見られない』と言っていました。『顧客(である企業の担当者)は、宅配便の集荷にかかる労力を分かりもせずに、少し時間が遅れただけで、偉そうにクレームを出す』とも言うわけです。
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【02】 良い客ばなりなら… |
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そこで、ちょっと彼に聞いてみました。つまり『では、どれくらいの荷物だったら、呼びつけられて腹が立たないか』と。すると彼は『そうですねえ』と考え込んだ後、『メール便1通でも、速達便(約100円高くなる)にしてくれたら…』と言いました。
では『顧客にそう伝えればいいではないか』と言うと、『良いお客さんばかりではないし、そんなことはできない』と言うのです。『メール便は配達日も保証していませんから、お呼びになるほどお急ぎなら、速達便をお勧めします、くらいは言えるだろう』と更に追いかけると、彼は『そうですね』と乾いた返事をして帰りました。相手にしてくれなかったようです。
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【03】 均一商品販売が常識化してしまった弊害? |
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ビジネスが“大量生産・大量販売”に慣れ親しみ、顧客に対するサービスも“均一でなければならない”という思い込みが、今や“常識”を超え、“良識”や“見識”でもあるかのように広がってしまっています。企業経営を支援していても、『うちもようやく均一のサービスができるようになった』と経営者が喜ぶのを聞きます。
商品が均一なら、営業者が“差”を生み出さなければなりません。そのため、どうしても“下手”に出てお客のご機嫌をうかがう“姿勢”が、営業サイドで常識になるのです。そして『他で買うよ』と言える顧客は、益々増長して行きます。
いわゆる“産業革命”により今風の大量生産・大量販売が、今日の“営業観”を作っていると言えるかも知れません。ところが、250年にもわたって培われ続けてきた“均一”発想に、最近“小さな”変化が見え始めているのです。
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【04】 パン屋さんの“小さな”革命 |
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たとえば、あるパン屋さんが、自分の買い物袋を持ってくる人と店のレジ袋を使う人で、値段を分け始めました。しかし、いちいち面倒です。みんなにレジ袋を使わせて、値段を上げた方が楽でしょう。均一商品大量販売は、現代ビジネスの基本です。
ところが、もう60歳を迎えようとしているパン屋の女将は“違う印象”を抱いています。それは、一口に言うと『お客様との会話の機会が増えた』と言うわけです。“レジ袋は8円から12円かかる”と説明する“必要性”が生まれると、それをきっかけに“コミュニケーション”が始まるわけです。
今まで、客は無言で商品を選び、無言で買って帰るのが普通でした。『店はまるで倉庫のようだった』と女将は言います。しかし、様子が変わったのです。 |
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【05】 小さなきっかけから始まったコミュニケーション |
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ある日、ある客に『なぜレジ袋が有料なのか』と聞かれて、『うちはパンの料金を他のチェーン店より2割安くしているからだ』と答えると『へえ、そだったの』と言われたのだそうです。『こんなに店中に“2割引き”のポスターを貼っているのに、お客様には見えないんですね』と女将は言います。“伝わっている”と思い込んでいた女将は、大きなショックを受けます。
また、ある時ある客から『近所に、おいしいケーキ屋さんがない』と聞き、ロールケーキを販売してみたのだそうです。『やっぱり、うまくない』と言われ、ちょっと躊躇しましたが、“昔取ったきねづか”で作ってみたケーキの“粗利”の高さに、『ケーキの会でも作って売れないかしら…』などと、“危険な夢”を膨らませています。いずれにしても、女将は、改めて、日々が楽しくなったようでした。 |
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【06】 均一商品大量販売が“破壊”したもの… |
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実は、均一商品大量販売は、この“売り買いの楽しさ”を破壊してしまっていたようなのです。すべてが均一なら、黙って買ってもらった方が効率的です。客サイドでも、ムダなコミュニケーションをする必要はありません。そのため、売り手と買い手の対話が途絶え、売り手の知識が買い手に届きにくくなって、結果として、客の無知が放置され、何も知らない子供のように“わがまま”になって行くのでしょう。“わくわく感”がなくなると、同時に知恵(の交流)も薄れてしまうわけです。
ところで、関西人は何でも“値切る”と言われますが、あれは必ずしも“値切って”いるわけではないのです。特に商売好きの関西人のケースでは、“価格交渉”という儀式の中で、その商品についての“深い情報”を交換しているのに気付くでしょう。“単なる値切り”だと考えれば、関西人はケチに見えるかも知れませんが、真の行為に耳を澄ますと、好奇心に満ちた関西人の“知りたがり”が見えるのです。かつて、危険な海原を超えて“商い”に出る勇気を支える元になった、あの“好奇心”です。
しかも、そんな好奇心に満ちた客は、必ず“お礼”をして帰ります。つまり『おおきに、ほなこれも買うわ』と別の商品も買って帰るということです。しかも、今度は値切りません。
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【07】 まずは“時代の流れ”を感じよう! |
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顧客との“接点”形成を考える時、つまり“顧客満足”や“契約促進”を検討する時には、まず上記のような“時代の流れ”を感じる必要があると思います。今、客層は、稲穂を垂れる大人と偉そうな子供の二極分化が進んでいます。
“変化の時”は、まず一部が変化をし、それを追いかけるように主流が変わるのが普通ですから、“一部の大人”は、将来の主流派の“モデル”なのかも知れません。変化の時代には、遅れた主流派ではなく、未来のモデルを探して行く必要があるのです。
こう考えれば、保険営業は今、非常に難しい局面にあることが実感できます。それは、自ら“大量生産・大量販売”を否定するはずもない保険会社から、新しい“売り方”が示される期待は、ほとんど持てないという現実に遭遇するからです。しかし、保険会社は営業現場を“ノルマ”を通じてコントロールします。しかも、事業性を意識すればするほど、顧客との関係の“質”よりも、売れる“量”を重視するという“時代逆行”の道をとらざるを得ないのです。 |
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【08】 “顧客に教える”テーマの底流にあるもの! |
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かなり遠回りをしました。ただ、以前に“顧客教育”の話をした時、それは“商品やサービスの内容を的確に伝えること”だとだけ捉えられるケースが多かったので、今回は敢えて遠回りをさせていただいたわけです。
保険営業でも、コンプライアンスの問題から、保険会社の中央集権体制が強化され、それが、1990年代に芽吹き始めた“提案型セールス”への道に、大きな障害を置いてしまいました。今、保険営業は“責任”だけを背負い、武器も展望もないまま、無知な顧客の前に放り出されるケースが、結果として増えてしまったのではないでしょうか。これが“言い過ぎ”なら、本当にうれしいことですが…。
市場が“無知な子供”から、徐々に“理解を求める大人”に向かう過程にあって、保険会社の中央集権を尊重し、まだ多数派として残る“子供集団”を客としながらも、それでも“大人の客層”をつかめる“将来性のある営業主体”になって行く…、“顧客に教える”とは、こうした遠大な発想に答を出すものでなければならないのです。
では、それはどんな“答”なのでしょうか。次回にご一緒に考えましょう。
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